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久々にSTEINS;GATEをやった

久々にSTEINS;GATEをやった。最近読んだ『時間はどこから来て、なぜ流れるのか?』という講談社ブルーバックスの本にSTEINS;GATEの「世界線」という用語への言及があり、そこで懐かしくなってdアニメで無印、劇場版、0と全話視聴したのがきっかけだ。ついハマってしまい、生産的な活動を全て放り投げてiOS版のゲームを購入した。

ゲームは、無印、比翼恋理のだーりん、線形拘束のフェノグラム、の3つをやった。ELITEと0はまだやってない。

以前は2011年のPSP版をやったことがある。たしか発売されてそんなに経ってない頃にやった気がする。同時期にアニメ化されているようなので、多分そちらもリアルタイムで視聴しているはず。

その後は、2018年に0がアニメ化されたのでそれを観ているはずだ。なので今回STEINS;GATEに触れるのは2年ぶり3回目ということになるだろうか。

2011年頃の印象と今あらためて持つ印象がかなり変わっていることに自分で驚いた。無印の作品自体は同じなので、自分自身の変化ということになる。

2011年頃の自分は結構二次元美少女を類型化することに凝っていて、牧瀬紅莉栖というキャラクターに批判的だった。天才美少女には類型があって、以下の点を満たすのが天才美少女ものの物語である、というのが自分の定義だった。

  • 天才美少女は常識がなくコミュ障である
  • 主人公だけが天才美少女とコミュニケーションをとれる。天才美少女とコミュニケーションをとれる、という一点のみにおいて凡人の主人公が特権的な立ち位置を得る

物語は読者に願望充足を与えなくてはならない。主人公は読者に同一化してもらうために能力的に凡人であるのが望ましい。凡人である主人公が読者に願望充足を与えるためには、主人公が何らかの意味で「美味しい目」に合わなくてはならない。例えば異世界転生ものであれば異世界に転生してチート能力を手に入れることが「美味しい目」だ。ラブコメであれば複数の異性に好意を持たれるのが「美味しい目」だ。天才美少女ものの場合は、唯一天才美少女とコミュニケーションを取れる特権的存在である、という点が主人公にとっての「美味しい目」になる。

同じ科学アドベンチャーシリーズで言えばROBOTICS;NOTESに登場する神代フラウがまさに天才美少女の典型例だ。ROBOTICS;NOTESの主人公である八潮海翔は完全に凡人の域を超えているが、神代フラウとの関係においてはほぼほぼ天才美少女もののフォーマットに則っていると言って良いだろう。

しかし牧瀬紅莉栖はそのフォーマットに則らないキャラクターだった。彼女にはしっかりとした常識があり、岡部倫太郎以外ともそつなくコミュニケーションを取れる。気が強く生意気、という性格設定はあるが、コミュ障というところまではいっておらず健全な社会生活が送れている。

自分は当時それが牧瀬紅莉栖の欠点だと認識していた。つまり類型的なフォーマットに合わせてキャラクターを修正すればもっと良くなると思っていたのだ。自分の目にはせっかくの天才美少女という素材を「ただのツンデレ」として扱ってしまい十分に活かせていないと映っていた。

しかし今にして思えばこのような見方は必ずしも正しいとは言えなかった。事実牧瀬紅莉栖はSTEINS;GATEのみならず科学アドベンチャーシリーズ全体の中でも最も人気があるキャラクターの一人だろう。しかも、「天才美少女には常識が欠けている」という「常識」を破って人気キャラクターとなった。これは天才美少女の概念拡張と言ってもよいだろう。身近な天才、コミュ力のある天才、このようなキャラクターはよく訓練されたオタクほど扱いづらかったのではないだろうか。天才美少女は身近ではないからこそ良い。ツンデレ美少女は身近だからこそ良い。そうした既成概念が牧瀬紅莉栖を扱いづらくする可能性があったのではないだろうか。少なくとも自分にとってはそうだった。

二次創作に目を通してみると、牧瀬紅莉栖は単なるツンデレ美少女として受容されているように感じる。天才、という側面を表現するためには作者自身に勉強が必要だから難易度が高いのだろう。そして牧瀬紅莉栖というキャラクターの独特な魅力はそこにあるからこそ難しい。宇宙物理学や脳科学の知見を持ちながら幼馴染や同級生のような気安さも兼ね備えているからこそテンプレなツンデレが生きる。牧瀬紅莉栖のツンデレは二重のねじれだ。ツンデレ自体がねじれであるが、天才美少女という本来常識がなくコミュ障な、一般的なツンデレの枠にはおさまりにくいキャラクター類型にテンプレすれすれのツンデレ属性を注入した。ツンデレであるはずのないものがツンデレである。このねじれを忠実に再現するような妄想は案外むずかしい。ただの「クリ腐ティーナ」であればラノベにありがちなオタクツンデレ美少女に終始していたところだろう。

牧瀬紅莉栖が天才美少女である以上、作品世界の知的な側面を担っている存在であることは間違いないだろう。その紅莉栖がねらーでありクリ腐ティーナでありスイーツ(笑)でありツンデレであるということは、多くの場面で欲望が知性に優越するということを暗示している。宇宙物理学や脳科学への知的探究心とオタク的欲望は牧瀬紅莉栖において同列に並びうるということだ。彼女の存在自体がオタク的欲望への讃歌なのである。牧瀬紅莉栖が、オタクがオタク自身を自閉的に賛美するだけのラノベ的美少女と一線を画している部分はここだろう。

そのことが、初めてSTEINS;GATEに触れてから9年経った自分にもようやくわかってきた。自分自身があまり活発なオタクではなくなったからこそ理解できることなのかもしれない。

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