高度に労働集約型の仕事
高度に労働集約型の仕事
プログラマーは労働集約型の仕事だ。大きなソフトウェアを作ろうと思ったら開発者の頭数が要る。人をたくさん集めてコードを生産する。人が多ければ多いほど解決できる問題は増えてプログラムが高機能になる。
プログラムは何かを自動化するためのものなのに、それを生産する作業は労働集約的なのである。しかも単に労働集約的なのではない。高度に労働集約的だ。荷物を運んだり決められた手順でボタンを押したりの認知的負荷の低い単純作業とは異なり、いろんな知識が必要とされたり、複雑なコンテキストを理解したうえでの作業が求められる。100人いたら90人の人ができる、という性質の仕事ではない。だからプログラマーが偉いということを言いたいわけではなく、単にそういう性質の仕事であるということだ。
自分はこのことを随分前から誤解していて、誰でも正しいステップで知識を得ればプログラマーになれると思っていた。自分自身は31歳というかなり年がいった状態で0からプログラミングを始め、いまこうして独立して生活をしているため、これほど初期条件が悪かった自分でもできるなら誰でもできるだろと思っていた。だから、地方に住む若者にプログラミングを教えて、みんなでフリーランスになってもらえば、地方に住む若者にも希望が出てきて人口減少の問題も一挙に解決できるのではとか楽観的に考えていた。
しかしそれは違った。地方に住む若者の性質を読み違えていた。プログラミングの習得はかなり受験勉強に近い。学習中に行き当たる問題の98%程度には正答と言える答えがあり、それを導き出す能力が重要となる。もちろん上達していけばいくほどプログラミングにも答えの出ない問題がたくさんあるということを知るのだが、その段階に行く前の一人前になるまでの学習においてはほとんどの問題に客観的な正答が存在する。それを解く行為は受験勉強と極めて近い。受験勉強が得意だったり、受験勉強を頑張った経験がある者は、それだけでプログラミング習得に関してアドバンテージがある。ところで地方にずっと住んでいる若者は受験勉強を経験したことがないか、あってもそれほど力を入れていなかった人の割合が高い。これは当然で、わざわざ受験勉強して進学する先は地方を抜け出した大都市圏にあるからだ。
地方都市にずっと住んでいる若者は、論理的思考力や正答を導き出すテクニックなどに長けておらず(なぜなら訓練を受けていないので)、一方で地域社会とうまくやっていくためのコミュニケーションスタイルにはかなり習熟している。大卒で東京でしばらく働いてからUターンしたような若者は、恐らく地域社会のいい意味でも悪い意味でもベタベタとした下品なコミュニケーションに馴染むのに時間がかかるのではと思う。
プログラミングを習得するためにはある程度の下地が必要だ。その下地は受験勉強でかなりの程度作ることができると思われる。もちろんそのうえで、本人の適性というフィルターもある。仕事としてのプログラミングは社会的な行為という側面も多分にあるため、コミュニケーション能力も案外必要だ。顧客から連絡が来たらなるべく早く何らかのレスポンスを返せるような態度が身についていることも大事になってくる。しかし個人的な実感として、本人の適正やコミュ力というフィルターよりも、受験勉強的な資質というのが最も厳しいフィルターのような気がする。多少のわからないことは自分で調べる、という態度は受験勉強で身につけることができる。毎日少しずつ勉強するという態度も身につく。体系的知識を得るために本を買うという発想も身につく。知識を確かめるために問題を解くという発想も身につく。このようなディシプリンは、努力で身につけることができるにも関わらず、それなりの長期間の訓練が必要であるため、社会全体の中においても僅かな人しか身についていないような気がする。一時的に身についても受験が終わったらさっぱり抜けてしまった人も多いだろう。
プログラミングそのもの、受験勉強そのものよりも、こうした「勉強スキル」のほうが死活的に重要で、それが身についていない人が地方に多い限り、地方の若者に希望は少ないのかもしれないと思う。受験勉強が苦手だったり嫌だったから地方に残った人々にとっては酷な話で、本当につらいことだと思うが、現代社会は要領が良いやつとか調べるのが得意なやつがうまくいく鼻持ちならない世の中へと加速度的に変貌している。単純作業やサービス労働は今もたくさんあるが低賃金だし過密労働だし感情労働だ。昔ながらの地元でまったり暮らせる豊かな地域社会は崩壊しつつある。あったとしてもせいぜいおじいちゃんおばあちゃんが生きてて資金的に援助してくれるうちだけだろう。勉強しなくて済む世の中は終わりつつある。ディーセント・ワークは高度に労働集約的な仕事だけになってきている。
ユニクロの社長は「泳げない奴は沈めばよい」と言ったそうだが、まさに社会全体がユニクロ化しつつある。勉強できないやつは他人のお世話係として低賃金で搾取されながら死ねという世の中だ。つらく悲しいが勉強するしかない。